バスケの神様マイケル・ジョーダンを抜きにしてスニーカーは語れない!

BASKETBALL

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マイケル・ジョーダン。

スニーカー好き、バスケ好きなら聞いたことがない人なんていないでしょう。

バスケの神様とも呼ばれ、引退して16年も経ちますが未だに多くのバスケットプレイヤー、スニーカーフリークたちに影響を与え続けています。

この記事ではそんなマイケル・ジョーダンが改めてどれだけすごい人だったのかを振り返ってみたいと思います。

マイケル・ジョーダンのプロフィール

マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)

誕生日:1963年2月17日(58歳)

出身地:アメリカ合衆国ニューヨーク州

身長:198cm

体重:99kg

所属:シカゴ・ブルズ(背番号23)、ワシントン・ウィザーズ(背番号45)

ポジション:スモールガード

マイケル・ジョーダンは電気技術者の父親と、銀行勤めの母親の3男としてニューヨーク州のブルックリンで生まれ、黒人家庭としては比較的裕福な家庭で育ちました。

兄の影響で野球やアメリカンフットボールを習っていました。バスケも兄の手ほどきを受けていましたが、兄にはなかなか勝てなかったそうです。

高校卒業後、ノースカロライナ大学(UNC)に進学し、1982年のNCAAトーナメントチャンピオンシップで決めたウイニングショットは後に「伝説のショット」として今でも語り継がれています。

3年次にはネイスミス賞とウッデン賞を受賞。当時のヘッドコーチの薦めもあり、プロ入りを決意。

1984年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズに全体3位で指名されました(この年の全体1位はヒューストン・ロケッツのアキーム・オラジュワン)。

ひとまずNBA入り前までご紹介させていただきました。本当に凄いのはここからなんです!ところでいったい何がそんなにすごかったのでしょうか?

ジョーダンが「バスケの神様」と呼ばれる理由とは?

ではマイケル・ジョーダンはいったい何がどうすごかったのか?

「バスケの神様」と呼ばれる所以をご紹介したいと思います!

他を寄せ付けないバスケットセンス

とにかくジョーダンはコートの上で他のプレーヤーとレベルが違いすぎました。

彼から想像するプレーと言えば、華麗なダンクシュート、外れることが想像のできないジャンプシュートなどではないでしょうか?

それらももちろん素晴らしいのですが、彼はシュートだけでなくパスのスキルにも長けていました。

ノールックでのパスなんかを見ると「いったいジョーダンにはどこに何個の目があるんだ?」みたいな…。

個人的にはディフェンスがとんでもない選手だと思いました。

の人のディフェンスには隙がない…。

もちろん実際にマッチアップしたわけではないですが。

とにかくオフェンス、ディフェンスどちらにおいても高いスキルを持ち合わせていました。

15年間の選手生活で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代4位。5度のシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVP受賞。

この数字を見ただけでも、マイケル・ジョーダンがとんでもない化け物だったことがうかがえます。

高すぎる身体能力

マイケル・ジョーダンが「エアジョーダン」と呼ばれるようになったのもこれに尽きます。

まるで空を飛ぶかのような圧倒的な跳躍力・滞空時間のダンクシュートは、多くの人を魅了し「Air walk」「The Air」などと呼ばれました。

198cmとNBA選手の中ではそんなに大きかったわけではないですが、全盛期のマイケル・ジョーダンは垂直跳びの最高到達地点が392cm(!)を記録するなど、世界のアスリートの中でもトップレベルを誇る身体能力を持っていました。

卓越したゲームコントロール

史上最高とも言われるほど勝負強く、ゲームを支配する能力が非常に高かったと言われています。

NBAと言えばバスケ界の最高峰。選手たちもトップレベルの人たちです。

同時期にプレーしていた選手はラリー・バード、アキーム・オラジュワン、チャールズ・バークレー、ジョン・ストックトンなど。

同じシカゴ・ブルズのチームメイトにも、スコッティ・ピッペン、スティーブ・カー、デニス・ロッドマンなどなど。

この記事を書きながら名前を見るだけでも興奮するようなスター選手がいっぱいいましたが、その中でもマイケル・ジョーダンという選手はずば抜けていました。

コート外でのビジネスの功績

ジョーダンはバスケはもちろんのこと、ビジネスにおいても大きな成功を収めた結果、彼が世界中でもっとも有名なバスケットボール選手となり、今もなおバスケットボールという競技の象徴として君臨しています。

デビュー当初のジョーダンは、それほど注目される選手ではありませんでした。

しかし、84年のロサンゼルスオリンピックで優勝すると、ナイキはジョーダンと大型提携を結びます。

なんと、5年間で約2億円の契約!これは当時でも破格の金額でした。

ナイキにとっても本気の契約で、ジョーダンに会社の未来を託すような勢いでした。

実は当時のジョーダンは、“アディダス(adidas)好き”だったことはファンの中では知られている事実。

それも、“アディダス・ナッツ(アディダス信者)”というほどのアディダス好きだったそうです!

今では考えられないですね。

そんな彼にナイキに関心を持たせるために、ナイキは特別なシューズ・ウェアの制作を約束しました。

そこで登場したのが、『エアジョーダン』なのです。

同シューズといえば、あの赤と黒のブルズカラー。

当時のNBAのユニフォーム規則では、『ユニフォーム統一性に関する規約』によって白以外のシューズは認められていなかったのです。

しかし、ナイキはこの規約を逆手にとったプロモーションを仕掛けました。

「NBAがこのシューズの着用を認めなくても、諸君の着用を止めることはできない」という反骨精神を表に出しました。

ジョーダンの人気に伴いこのシューズの人気も世界中に広まりました。

ジョーダンは当時としては画期的だった歩合制の契約を結んでおり、シューズの売上に比例してジョーダンの収入も上昇し、ナイキ自身も当時業界1位だったコンバースを抜くことになりました。

ジョーダンの人気はバスケだけにとどまらず、ストリートへも蔓延し爆発的な人気を誇ることになったのです!

ナイキとジョーダンがタッグを組んでから約40年近くが経とうとしていますが、今なお最前線を走り続けているのはすごいとしか言いようがありません。

個人的おすすめエアジョーダンシリーズ

今まで履いてきたなかで(少ないですが)、私がおすすめするエアジョーダンシリーズをご紹介させていただきます!

Air Jordan1

Air Jordan1

先ほどもご紹介したジョーダンシリーズの先駆け。

カラーのパターンも多く、いろんなコラボも発売されています。

現在ジョーダンシリーズは34まで発売されていますが、いまだに1がもっとも人気の高いシリーズとなっています。

個人的にはやぱりこのブルズカラーが好き!

ただバッシュというよりはどちらかと言えばストリート向きかもしれません。

いま考えるとこんな硬いスニーカーであんな跳んでたんか・・・。

Air Jordan4

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こちらも様々なカラーリング・コラボアイテムがある1足。

上の写真の2018年に発売されたラッパー・Travis Scott(トラヴィス・スコット)とのコラボモデルは、訳のわからないプレ値がつきいまだに超高額で取引されています。

トラヴィス・スコットについてまとめた記事も公開しています!

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こちらもどちらかと言えばストリート向け。

Air Jordan11

jordan11

第一作は1995年の秋に発売されました。

個人的にはこのモデルのこのカラーが一番好きです。

ジョーダンはやっぱり黒x赤のブルズカラーが一番しっくり来ますね!

高校時代に部活でバッシュとして履いていたこともあり、思い入れのある1足でもあります。

当時はボロボロになるまで履きましたね。今思うともったいない…。

クッションもしっかりしているので、ストリートはもちろん今でもバスケットシューズとしても十分活躍してくれるはずです!

以上、今回はバスケの神様でもあり、スニーカーフリークたちのレジェンドとも言えるマイケル・ジョーダンについてまとめてみました。

彼のプレーを見てバスケを始めた、という今大活躍しているNBAのスターもいっぱいいます。

本当にマイケル・ジョーダンの影響力というのは凄まじいですね!

シリーズはまだまだ続いています。

これからも素敵なスニーカーを発売してくれるのを期待しましょう!

それでは皆さん、素敵なスニーカーライフを!

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